2012年12月8日土曜日

昨日は疲れました

昨日の夕方は、本当に怖かったです。

かなり長い時間、大きな揺れが続きました。
揺れはあの3.11よりも弱かったですが、似ていました。

ちょうど友人宅だったので、まだ心強かったですが、恐怖で震えました。

テレビをつけて、揺れの大きさから、津波情報が出る前に、逃げることにしました。

すぐに家に戻り、貴重品、オムツ、ミルク缶をかき集めて、車に積めて、津波が来ない方へすぐ車で避難しました。

もうね、それしか持ってこられないよ、急に来られると。

でも、まだ出かけている格好だったこともあり、防寒対策も大丈夫。

それに、たまたまそっちの保育園から持ち帰った布団セットもトランクに入れていたから何かあった時も大丈夫でした。

たしか出る直前にテレビで警報が出た気がします。

市の広報からの呼びかけも聞こえる中逃げました。

頭によぎったのは、震災後に見たテレビの映像。

そして、車の中にいて津波の犠牲になった人たちのこと。

絶対この二人をそうさせてはならない。
怖いながらもそれだけ、とにかく遠くへという気持ちだけでした。

車の中で津波の高さを知り、まずはスーパーの2階で待機しました。

津波がそれほど高くないと分かっていても、とにかく警報が解除になるまでは家には戻らないと決めていました。

それはあの日の教訓、そして安易に戻って、二人の子どもたちを犠牲にするわけには絶対いけないからです。

駐車場には車で暖をとる人はいたけれど、ん~、ガソリンなくなったらね…。

なかなか解除されなかったなぁ。
その間長かった…。

りょっちのおっぱいもあったので、一旦駐車場に行き、授乳をしました。

友達が持ってきていた玉子焼きと野菜ジュースをそっちに分けてくれました。

そして、ようやくラジオから警報解除が流れました。

帰宅後、泣くりょっちの口に哺乳瓶を差し込んで、洋服など逃げる準備を車の中に置いて、そっちにご飯を食べさせました。

そして、部屋を汚くしていると何かあった時にさらに収拾つかなくなってしまう。

もうクタクタでしたが、家事炊事をこなしました。

主人から19:30頃新幹線に乗ったというメールがあり、あー、いつもより早く帰ってくると安心しました。

そっちは、デザートを食べてる途中で、
「ねむくなっちゃった」と言ってきました。

そうだよね、もう21時だもんね。
そっちも一生懸命頑張ったもんね。
怖かったよね。

三人で寝室に行くと、そっちは本当にすぐに寝息をたてていました。

私は主人が帰ってくるまでは、何かあったら逃げないとと気を張っていました。

主人が帰宅したのは結局23時。
新幹線などが遅延したそうです。

はぁ~、もうぐったり。

本当に疲れました。

地震はもう本当に嫌です。

でも、りょっちが生まれてからの久しぶりの大きな地震。

荷物等の見直しをする良いきっかけとなりました。

早く防波堤ができてほしいです。

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