2013年2月14日木曜日

主人から

今朝の態度についてメールで聞いたところ、

価値観が違うから、その時に食べたくない時もある。
そこを言われても困る。

という返答があった。

そのロジックはすぐ崩れる。

そもそも、人は価値観が違う。
だからこそ、価値観が異なる人々が生活や一緒にいるところで、ルールや挨拶、お礼というのが前提であるのだ。

自分が食べたくなくても、嬉しくなくても「ありがとう」という一言があれば、それで終わる。

彼の主張は自分がお礼を言わなかったことを棚に上げて私を責めているにしか過ぎない。

朝、私が彼に文句を言ったという。

しかし、彼は一昨日、子どもの前で私を平気で「鬼」呼ばわりした。
私は大変悲しくなったし、何てことを言う人だろうと思った。

それでも、私は苛立ちながらも朝食と昼食、そしてバレンタインのチョコも用意した。

私に、家事炊事、育児でやっていないことを指摘されてふてくされるなんて、単なる子どもだ。

申し訳ないけれど、もっと手のかかる子どもが二人もいて、夫が動かなければ何も動かない。

それに、一昨日そうやって私を罵倒したから私は文句を二倍も三倍も言うのだ。

そうやって、夫婦関係を悪化させたのは、そもそも夫なのである。

自分が言われてヘソを曲げて、でも人をそうやって罵っても一言も謝らず平然としている主人の方がおかしいと思う。

今朝の出来事で、何かをしてあげようという気持ちがゼロになった。

これからはお弁当を一切作らないと決めた。
お小遣いの範囲でやりくりすればよい。
何かを作る時は、冷蔵庫の物を勝手に使わず申し出てもらおうと思う。

新築中の家も何だかどうでも良くなってしまった。
一緒に暮らしたくない。

今週末はストレス発散のために高価なバッグを買おうと思う。

好きなことをしよう。

自分が悪いことに彼は気づいていない。
自分はそういうことを伝える職業のくせに、家庭ではそうではないのだ。

彼のことを皆人当たりの良い人間だと世間は思っているが、まったくもって違う。

これは言葉の暴力ではない。
表現の自由である。

先日、夜泣きをしているりょっちに対して、夫は
「うるさい」と言った。
赤ん坊に対してそんなことを言う方が言葉の暴力である。

主人は、自分の非を認めて家族に接するべきである。

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