2011年11月15日火曜日

主人の誕生日

今日は主人の31歳のバースデー♪

時短で料理したため、満点ではないが、主人は美味しいと言ってくれた。

31歳のこの1年も、強く優しく逞しく、私とそっちのアンパンマンでいてください!

ハッピーバースデー!!



ごちそうさまでした

今日のお昼は、丸亀製麺。

ぶっかけうどん(温)!

280円。

美味しかった。


主人のお弁当

毎日主人と私はお昼のお弁当を持っていく。

主人はこれまで文句も言わず、お気に入りのお弁当箱に詰めてあげたお弁当を持っていき、空っぽのお弁当箱を持ち帰ってくれる。

私は独身時代、正確にいうと社会人4年目からお弁当を作り職場に持っていくようになったと思う。

それまではコンビニのおにぎりなどを持っていったり、食べにいったりしていったが、外食はやはり不経済。
そして太る!
それに、何と言っても下手でも自分で作ったものの方がほっとする。

独り暮らしは長いから料理はそれなりにしていたが、お弁当となるとまたちょっと異なってくる。

間仕切りがあるから、料理の種類が要求される。
また、つゆものはなかなか持ち歩けない。
それに、熱いまま入れると、昼にベタッとなってしまい、美味しくなってしまう。

お弁当箱は小さいが、小さいなりに物語というか、こだわりが必要になってくる。

自分なりのお弁当作りのコツをいつ掴んだかは定かではないが、今は自分なりのお弁当作りが定着している。

亡くなった母はよく、栄養バランスが分からなくても、彩りが良ければ最低限栄養は摂れているからと言っていた。

お弁当だけではなく、料理を作る時、私は必ず色合いを大事にしている。

お弁当も開けた時に、赤、黄、緑、茶、白などカラフルになることを私はずっと心がけているし、野菜とお肉、魚のバランスだけは意識している。

よって、おかずストックを作る時はもちろんお弁当に詰めるおかずになることも前提に、さまざまな材料を使うようにはしている。

小さな心がけ。
でも、その色合いが崩れると、例えば茶色ばっかりになったり~そうするとふたを開けた瞬間、失敗したなぁとがっかりしてしまう。

毎朝の作業としてはおかずストックを詰めるだけである。

主人のお弁当は私より大きいから、間仕切りが5個。
今日は、肉類のおかずストックが切れてしまったから、朝慌ててソーセージを焼いた。

これに、今日はいくらをたくさんかけた鮭酢飯。

今日も空っぽのお弁当箱を持ってきてくれるかな。


2011年11月13日日曜日

晩ごはん

今夜はこんな感じ。

真ん中の背の高い器に入っているのは、イクラと大根おろし。

主人の実家からイクラをもらったため、体調不良の私に代わり、主人が醤油とみりん、酒で味付けしてくれた。
もう少し甘みがあっても良い感じだが、美味しく漬かっていた。

帰ってきた主人に大根おろしを作ってもらい食べた。

ありがとう。

ごちそうさまでした。

それから、私が好きな料理でもある、鶏挽き肉の団子汁。
父が送ってくれたセリとネギを入れいただいた。
私は調子にのって3個食べたら、食べ過ぎて気分が悪くなったが、そっちは初めて2個食べてくれた。
以前食べさせた時は嫌がっていたため、今日は1個だけ試しに食べさせた。
気に入ってくれたらしく、もう一個と器をもって台所までおかわりのリクエストをしてくれた。

嬉しかった。

ちなみに、写真左下は、主人が作ったおにぎり。
焼き海苔のサイズに合わせて上手に作っている。
今日のBBQに合わせて差し入れとして作って持っていったようだ。
すごい!
帰ってきて早々、他の方も持ってこられたみたいで、創真以外食べてくれなかったと残念がっていたが、その優しさに私は自分の夫として誇らしかった。
そのおにぎりをただ触りたいがゆえに開けてずっと持っていたそっち。
主人に食べてもらった。
今日はおにぎりを食べたい気分ではなかったが、明日の朝はいただこうと思う。

BBQ、楽しかったみたい。
主人がその様子やそっちの話をたくさんしてくれた。
おかげで、私まで行ったかのように楽しかった。

そっちは、一回り逞しくなって帰ってきたようだった。
私に駆け寄って来てくれて、二人でぎゅってし合った。
会いたかったもんね。
ずっとそっちのこと心配してたよ。

次はぜひ私も行きたいな。


動詞を喋った

そっちの話せる言葉が増えてきている。

ばいちん(バイキンマン)
ばしゅー(バス)

そして、
おちちゃった((物が)落ちてしまった)
いっちゃった((車が)行ってしまった)

と、まだまだ発音は辿々しいが、それでも、これには驚きである。

あった((物が)あった)
と同様、この年で動詞を話せることに感動。

さらに、驚くのは、

あぷ~(apple、すなわちリンゴ)

を言える。

保育園でも、おやつでリンゴが出た時、そっちだけ
「あぷ~あぷ~」と興奮していたという。

す、すごい。

1歳半にしてリンゴを英語で言えるとは!
少なくとも私は言えなかった。

とにかく私の話す口元を見て、口の動きを見ている。
彼はまだ話せないが、意味は通じている。
いっぱい言葉のストックを溜め込んでいる。
近い将来、難しい言葉を口にするかもしれない。

おかずのストック

体調は悪いが、先ほど1時間半ほど何とか料理をした。

私は働いているため、週末におかずのストックを必ず作る。

それがないと、平日食べるものがなくなってしまう。
仕事で疲れ、さらにはそっちの面倒に追われると、料理をする気力と体力がなくなってしまう。
よって、我が家はこういうライフスタイルをとっている。

主人も私もお弁当を持っていくから、主人の場合、間仕切りを考えると、必ず5品はおかずを詰めてあげる。
おかずの種類も要求される。

私の一方的な思いだが、主人には手作りの物を食べさせたい。
せめてもの妻の愛情。
私は冷凍食品はまったく使わないし、お店よりは劣るかもしれないが、でも手作りの料理は下手でもほっとする。

今日は、煮物の下準備などをしたり、晩ごはんの下ごしらえをしたりで、それを含めると、7品。
本来ならば、おかずストックだけで8品以上は作るのだが、今日はこれが限界。
主人におひたしと卵を茹でてもらおう。

今日のストックは、
茄子の油炒め(食べるときに生姜醤油をかければOK)
パプリカのマリネ
大根とツナの甘醤油炒め
大根の塩昆布&梅干し煮
さつま芋の煮物

あとは、
筑前煮
鶏挽き肉のおつゆ
を作れば夜は大丈夫!

主人は、私が具合悪いものだから、あー、今夜から晩ごはんどうしようって頭を抱えているかもしれない(笑)

安心して帰ってきてね!

妻は何とか頑張りました。

今はベッドで倒れているけど。


主人

ブログに主人のことも書きたいなと思っていたが、なかなか時間がなく、ようやく書こうと思う。

主人と結婚して、今度の11月22日で4年目になる。

私は30歳、主人は28歳で結婚した。

私が29歳の時に職場で出会った。

仕事の接点もなく、話す機会もなかった。

初めて話したのが職場の飲み会で、彼が相当酔っぱらって笑い上戸になっていた時で、その姿を見て、即、
「ないな」と思った。

つまり、この人と付き合うことはないなと思った。

私は、父が酒飲みで、人に絡むタイプだったので、酒飲みの人は論外なのである。
彼もそういうタイプだと思った。

ろくに話もせず、終わった。

彼との関係は職場の同僚のままのはずだった。。。

しかし、人生何が起こるか分からない。

夏、母の初盆で帰省した私は、部屋でゴロゴロしていた。
そしたら、無性に彼と話してみたいと思ったのだ。
その飲み会以来、まったく話さなかったのに、である。

考えた。
本当に話したこともないし、どんな人か分からない。
もしかしたら彼女がいるかもしれない。
年下だしなぁ。
そもそも一生話すことがないと思っていたから、連絡先さえも分からない。

どうしよう。

でも、別にどんな人か興味があるだけで、ただ話すのは迷惑じゃないし、帰ったら話してみよう。
そう思った。

お盆明け、たまたま渡す書類があり、それを渡すついでに思い切って話しかけてみた。

「夏休みはどんな感じで過ごしたんですか?」
たしかそんな感じだったと思う。
彼は、
「はぁ、まぁ」
みたいな感じで、書類を見るばかりで、私と話す気がなさそうだった。

「そういえばもし良かったら、メールアドレス聞いてなかったので教えていただけませんか?私のお教えするので、良かったらメールください」

ここだけは考えていた。
赤外線の受信方法は知っていたが、送信の仕方がわからなかった。
それに、赤外線の送受信で交換すると、それで終わってしまって、その後、メールのやり取りがないかもしれない。
だから、彼に返信してもらって、そこからメールのやり取りができるように、その場でメモ用紙にアドレスと電話番号を書いて渡した。

ここら辺の彼の反応は、私も緊張していたため覚えていない。
まぁ、メモ用紙は受け取ってくれたが、あとはそそくさとその場を出ていってしまった。

今思うと、彼はどう思っていたのだろう?

いきなり突然メールアドレス教えてほしいと言われて・・・。

その日の夜、家で私はメールが来るかとても気になって、携帯をやたら気にしていた気がする。

22時半過ぎにメールが来た。

彼からだった。

嬉しかった。

たしか、内容は、今、仕事が終わったところ的なものだった。

翌日も夜、メールのやり取りをした。

彼の趣味のアウトドアのBBQの写真が添えられていたものだった。

そんな感じで、毎日メールをし、会うようになった。

彼といると、なぜか安心感があった。

もっと一緒にいたいと思った。

いつから付き合ったのか、正直不明である。

ただし、ここで問題があった。

私も年齢的には結婚もしたい。

彼にはそこだけは予め伝えた。

申し訳ないけど、私ももう30だし、次付き合う人とは結婚したいと思っている。

彼がその時どう思ったか怖くて聞けなかった。
でも、彼は、自分がこれと決めた人とは固いよ。みたいなメールはもらった。
どういう意味か分からなかったけど。

そして、もう一つ、年齢以上に大きな問題があった。

私の場合、何と言っても、父親の存在がネックだった。

父に付き合っている人がいる。
と電話で言ったら、

両親共々、先に秋田に来て挨拶をするのが礼儀だろ。そうでなければ、許さない。

・・・とまぁ、昭和を通り越して、江戸時代ばりの固さである。

彼に言うか迷ったし、親友にも相談した。

結局、私は、これを聞いて怯えて去る人ならばそれまでだと覚悟した。

彼に伝えたところ、
じゃあ、親に言ってみるよ!と、拍子抜けしたくらい、それはそれはあっさり快諾してくれた。

結局、付き合って2週間位で彼のご両親と、そして、9月のお彼岸に私の父と挨拶し、結婚を前提としたお付き合いが始まった。

そして、11月22日に晴れて入籍した。

付き合って、たったの3ヶ月。

結婚には、

フィーリング
タイミング
ハプニング

があるという。

あの時、話しかけてなければ、
そして、私が彼と同じ職場にいなければ、
さらには同じ職業に就いていなければ、
もっと言うならば、彼が、私が生まれていなければ、こうなることもなかった。

そう考えるとやはり運命なのだと思う。

生まれた年も違うし、まったく交錯することがなかった私たちだが、色々な経験をし、出会いを重ね、たくさんの人間がいる中で出会った。

あの時私たちはこの出会いを手繰りよせ合ったのかもしれない。

私は、かなりの慎重派だし、よく考える人間だから、あまり直感で動くということがない。
事象の背景や要因、傾向と対策を熟慮して動くタイプである。

ただ、彼との出会いだけは、何か見えない力というか、そんなものに引き付けられ、気づいたら結婚していた。

私は、もし結婚するならば、世界で一番大好きな人にたくさん愛されて結婚したいという夢があった。

そして、平穏で愛情に満ちた家庭を作りたいと思った。

彼はそれを叶えてくれた。

彼は、やはり誠実だなと思う。
真っ直ぐというか、人を裏切らない。
あの時感じた安心感、居心地のよさは今も変わらない。
いつも私を気遣ってくれる。

仕事も一生懸命頑張っている。
今も成果を出しているし、これからの彼の仕事にプラスになるだろう。

家事炊事も不器用ながらやってくれる。
料理、洗濯、掃除、ごみ捨て。

そっちの面倒も見てくれる。
そっちもちっちぃが好きである。

アウトドアの趣味もたくさんある。
夏はBBQ、冬はスノーボード。
車に自転車にたくさん。
そして、彼が行く場所に私を必ず連れていってくれる。

結婚して4年。
まぁ、喧嘩はしょっちゅうだし、イラッとすることもある。
離婚するー!と私が一方的にキーッとなることもある。

でも、私は、彼が大好きである。
それが大前提なのである。

彼のおかげで、可愛い可愛い宝物のそっちにも恵まれた。

彼に対して、揺るぎない愛情と絶対の信頼がある。

それがなければ、夫婦はやっていけないし、日常を生活することはできない。

彼と一生一緒にいたいと思える。

人生、本当にあっという間なのかもしれない。

だからこそ、いつもこの人と寄り添って、同じものを見て笑い、美味しい物を一緒に食べ、ずっと仲良くいたいと思う。

まだまだ、たくさん話したいと思う。

今の幸せを大事にしたい。

当たり前のことが実は何よりも大切で、有り難いことなのだ。

彼といられることの運命と奇跡に感謝したい。

あのお盆の日、
彼に話してみようと思った日、
3月に亡くなった母が私の背中を後押ししてくれたのだと思う。

神も仏も信じない私だが、これだけは母の娘を想う仕業だったと信じたい。

母に彼を見せたかった。

涙を流し、どんなにか喜んでくれただろう。

お母さん、私はおかげで幸せです。

彼と頑張るから。

見守っていてね。