2013年4月6日土曜日

きついよ~!

今日は主人は主人の実家の種まきで日中不在だった。

週末の考えていた私の予定は、大幅に狂った。

お米をいただいているのは本当に本当にありがたい。
農業に人手が必要なのはよくよく分かる。
稲作に比べたら私の考えている予定なんぞちっぽけなものかもしれない。

が。
私は職場復帰したのである。
これからは、仕事で週末がない週も出てくる。

しかも、復帰して最初の週である。
やることは山積みである。

3日前くらいに、当然のように出かけると言う主人にイラッとした。

これからは平日に休んで手伝ってくるよう言っておいた。

稲作よりも今は何よりも家族の時間が大切である。
復帰した今、働かざる者食うべからずと言われて、最悪お米を買ってでも、今は私の中でやることは分刻みで決まっているし、それをやりたいし、やらなければならない。

私の予定①、新居の整理をしたかった。
日曜日は休みだよと主人は言うが、子どもがいたら作業はなかなかできないんだよ。
二日がかりでやる必要があるんだよ。
来週、あなたの友人が遊びに来るんでしょ?

しかも、主人は夜たっぷり寝る。
私は寝る間を惜しんで自分の時間を確保するタイプである。
主人は、誰よりも何よりも睡眠をとる。
りょっちの夜泣きにも一切起きない。
寝てばかりいたら、いつやるの?

私の予定②、整体に行きたかった。
私の体は今鋼のようになっている。
引っ越し、育児、仕事の疲労で体が痛くて痛くてたまらない。
頭も痛い。

主人は妊娠中に腰が痛いと言っているのに、片手にも満たない程度しか揉んでくれたことがない。
産後も然り。
お金を節約して自分がしてあげようという気持ちは皆無ね。
しかも、やっても5分。

帰宅後、料理をしている私に行ってきなというひとこともなかった。

日曜日は休みだから今日しかなかったのに。

私の予定③、子どもたちとの時間を大切にしたかった。
新学期の最初の週、小さな子どもの精神的な負担は相当なものである。
そっちは、担任の先生がすべて変わった。
おまけに、風邪も移された。

りょっちなんて、もうストレス以上の何物でもない。

二日間といっても、私たちもやることがある。
それを含めての二日間である。

すべてパーである。

主人の実家は考えが旧態依然のところである。
その隣町に主人のいとこの家があるが、そこもまた同じである。

ここ最近、そのいとこの家で騒動が勃発した。
同居解消をしたのである。
奥さんがそのあまりにも古いしきたりや家族の考え方についていけなかったのが大きい。

驚いたのが、出産直後から退院まで毎日お姑さん(私からすれば義理のおば)がお見舞いに来たらしい。
きゃー!止めてー!
デリカシーなさすぎですよ。

地域になじむため、おばあさんに連れられて「若妻会」に挨拶に行ったら、皆おばあさんだったらしい。
おばあさんが若い頃に結成された地域の女性集団のこと。
この手の話は、私が大学や大学院で勉強していたことだよ、、、とほほ。

奥さんのお父さんは実はご病気で余命幾ばくもない。
挙式をしていないいとこたちは、けじめの意味と、そのお父さんに見せたいという目的で、身内だけで挙式をすることになった。

その「身内」に難癖をつけてきたのが義理のおじおばらしい。
「身内」を「両親の兄弟」までにしようと言ってきた。
自分たちで言ったくせに、「両親の兄弟の子ども」まで声をかけてきた。
そう、つまり主人とその弟君。

私、おかしい!!と声を大にして反対した。
お父さんが具合が悪いのに、なぜそれを配慮しない?
さらに、自分たちで線引きしたのになぜそれ以上呼ぶのか?

私は筋が通らないことが嫌いなので。

主人はそういう判断ができないタイプなんだよね。
だって、そういう風に向こう三軒両隣まで呼ぶ地域で育っているから麻痺しているのよ(麻痺していることすら分かっていません)。

奥さん、立派だった。
おばさんと言い合ったらしい。
よく言った!!

そして、ようやく挙式は「両親の兄弟」も呼ばないことで落ち着いたらしい。

当然である。

まぁ、こういう地域が宮城県の北にはあるんですよ。

本当に古すぎる。

だから、私は子どもたちを連れていきたくない。
義理の両親は良い人なのはもちろん言っておくけれど、そういう古い地域なので子どもたちを洗脳させたくない。

そっちが転んだ時、義理の母が
「男の子だから大丈夫!」と言ったことに私は耳を疑った。
えっ、私、女の子だけど、女の子は泣いてもいいの?
きっと、私の大学の恩師はこれを笑って見るだろうな。

それに、まぁそれは信心深いのか、法要もそれはそれはお金をかけてやる。
こっちはお金ないわ。
それに、そもそも人は亡くなったらおしまい。
私はそういう風な価値観である。
母が亡くなって本当に分かった。
今でも忘れない。
火葬場で母の骨を見た時のことを。
亡くなったらおしまいなのである。

思い出を語るのはぜひしなければならない。
それは大切である。

しかし、何日も前から地域の女性たちが料理の準備をし、仕事まで休んで、たっぷりお金をかけて大々的に法要をするのである。

辟易する。

私はそっちとりょっちに伝えるつもりである。
こんなにお金をかけても意味がないことを。
死んだらおしまいなのだから、だからこそ今を精一杯生きるのだと。

基本、無宗教だから、私は。

私の子どもたちである。
そうやって育てる。

そんな古い田舎の価値観を強制されたくない。

子どもたちが色々判断できるようになるまで、私は主人の田舎を避けるつもりである。
申し訳ないけれど…。

ほんと、無理!

自分の親だとズバッと言えるけど、主人の実家には一応遠慮があるからね。

農業を中心に生活をしている地域はこういうものなのである。
いやはや、疲れますよ。

ちなみに、今日種まきに行った主人には手土産の菓子折りを持たせた。
それは、もちろん義理の両親に敬意を込めて。
主人が手伝いに行くのとは別の問題。
義理の両親が一生懸命お米を作られていることは私は知っている。
そういう冷静さは私は社会人として持ってはいます。

さて、今から部屋の片付けをしますか。
主人はもちろん爆睡中です~。

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