2014年3月16日日曜日

母の法要

    家族と母の法要に参加して来ました。
    早いもので7回忌です。
    母については、正直あの時から時が止まったまま。私は成長のない人間です。ふとした時によぎります。駄目だな、私は。
    本当はもっとゆっくり来たかったし、色々手伝いもしたかったけれど、今回はギリギリの到着でした。
    
    母のために、おじ、おばたちが集まってくれました。嬉しかった。父もきちんと用意をしてくれました。主役は母でしたが、そっち&りょっちの忙しなさに翻弄されてハラハラした感じになってしまいました。まぁ、これも今しかない光景だから。皆さんとも談笑できて本当に良い法要になりました。

    母はこの子たちを知らないんだなとやはり後悔してしまいます。主人も紹介できませんでした。私はどれだけ親不孝か。他人にはお母さんは天国から見ているよと言われても、死んだらおしまい。見れるわけがない。この子たちを見せたかったです。優しい主人を見せたかったです。今の幸せな私の姿を見せたかったです。母は泣いて喜んでくれたと思います。
   私はそれができず、ただただ申し訳ない気持ちです。だから、せめて、せめて、そっち&りょっちをしっかり育てたいと思うのです。
    母が歩んできた道を今ようやく私は辿っています。母も子育てで同じことを思っていたのだと思います。大変だったと思います。私の健やかな成長が生き甲斐だったと思います。
    母が生きている時、私は母の気持ちが分からなかったです。母が生前
「今はまだお母さんの気持ちは分からない」と言ったことが今になってよくよく理解できます。おそらく、子どもたちが多感な時期になり、意思の疎通ができなくなる頃、母の言ったことがさらに理解できることでしょう。
 
   とにかく頑張ろう。母に誇れるよう、強く逞しく子どもたちを育てよう。厳しくも愛情深い母になろう。そして、主人とも仲良く幸せでいよう。
    それが、私ができるせめてもの親孝行。
    親孝行、したい時に親はなし。まさに私のこと。
    



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